不平不満を記録する

「健康に太平(平和)のため生きる」と、生きる目的を定めた。
この目的に適うには「何をどんな手順で行えば良いのか」を考察する。

既に行っている「健康な状態」を生む行動は継続する。
未だ行っていない「健康な状態」を生む行動は開始する。
既に行っている「健康でない状態」を生む行動は停止する。
未だ行っていない「健康でない状態」を生む行動は抑止する。
既に行っている「太平な状況」を生む行動は継続する。
未だ行っていない「太平な状況」を生む行動は開始する。
既に行っている「太平でない状況」を生む行動は停止する。
未だ行っていない「太平でない状況」を生む行動は抑止する。

この8つを心掛けて実践すれば「健康」「太平」に貢献していると言える。

その実践の準備として、まず、 “不平不満を記録する” の続きを読む

健康に太平のため

「正しい生き方」とは何か。
私は「健康に太平のため」が正解だと思っている。

自らの肉体を(可能ならば周囲も)健康に保ち、
世界平和の為(世のため人のため)に貢献する。

正しい生き方(定義)でも述べたが、
「自殺を決意した人」以外の多くの人は「まだ生きること」を選んでいる。

何故「健康に」生きるのが正しいのか。「生きる」という目的に従っているから。
何故「不健康に」は正しくないのか。「生きる」という目的に逆らっているから。

生きようとしている人でも「老衰・不慮の事件事故・不運な病」で死ぬ事はある。
これは避けようがない事だ。

でも「復讐・不注意で事故・不摂生で病」が死因なら「自分のせい」でもある。
乱暴な言い方かもしれないが、これらも広義では「自殺」なのだ。
少なくとも、自分への「過失致死」だと言える。

「不注意で事故・不摂生で病」を遠ざける習慣、それが「健康に生きる」である。
「復讐」や「戦争・戦乱・争乱・騒乱・動乱」を遠ざけるにはどうするのか。
それが「太平のために生きる」である。

この「健康に太平のため生きる」を当ブログでは「支援」でなく「志縁」と呼ぶ。

正しい生き方(定義)

人は必ずいつか死ぬ。
そして、いつ死ぬのかは分からない。
これは間違いない事実だ。

死を求めて自殺をしなくても、どうせいつかは必ず死ねるのだ。
なのに自殺を選んだ人は「今すぐ死のう。自分で殺そう。」と思ったと言える。
逆に自殺を選んでいない多くの人はどう思っているのだろうか。

これは十人十色だろうが、少なくとも、
「今すぐ死ぬ気はない」か、
「自分で殺す気はない」かのどちらかには当てはまるだろう。

いずれにせよ、「まだ生きる」を選んでいるという事。(期間は様々だとしても)
そういった「まだ生きる」を選んだ人々全員が実践すべき普遍的な「生き方」を、
当ブログでは「正しい生き方」と呼ぶ事にする。

潜在意識に身を任せる

私にとっての「正しい生き方」とは、「潜在意識に身を任せる」だ。

私自身、「潜在意識」がどういうものなのか全然理解出来ていない。
唯一言えるとしたら、「自分も知らない自分」という表現ぐらいしかない。

人は自分の行動を完全に意識しているわけでもないのに、現に何事もなく行動出来ている。
俗に「無意識にやっている」と言われるヤツだ。
その「無意識にも関わらず」行動させてくれている「何者か」をここでは「潜在意識」と呼ぶ事にする。

人は全部の事を得意になる事は難しい。全部の事を極めるとなると不可能だ。
ならば、皆が全部の事を上達しようと頑張るよりも、
それぞれ自分が得意な事を上達し、お互いに補い合う方が合理的だ。
その方が組織も社会もうまくいく。適材適所。良い言葉だと思う。

その「適材適所」という考え方は、「社会」という集団にだけではなく、「私」という一個人内においても有効だと思う。 “潜在意識に身を任せる” の続きを読む

感謝と反省

良い結果が出た時は、環境からの影響に感謝すべきである。

何故ならその成功の要因は、自分自身の実力だけではないからだ。
もし感謝を怠れば、自分自身の実力を過信する事で無駄な失敗を生むだろう。

悪い結果が出た時は、自分自身の実力を反省すべきである。

何故ならその失敗の要因は、環境からの影響だけではないからだ。
もし反省を怠れば、環境からの影響を気にし過ぎて余計に成功を逃すだろう。

正しい生き方とは

<確実事項>
・人は必ず死ぬ。
・いつ死ぬかは分からない。
・死後どうなるかは分からない。
・幸福でありたい。
・不幸になりたくない。
・「正しい生き方」の完全な正解がいつ解るかは分からない。
・定めた「正しい生き方」が完全な正解かどうかを確かめる術は無い。

<疑問点>
・幸福とは何か?
・私の「本当にやりたい事」とは何か?

<方法論>
・「何故自殺をしないのか?」の答えがそのまま「何故生きているのか?」の答えになるのではないか。
・仮説を立て、その仮説に基づき実践しながら、自分自身の納得感が高まる方向に修正していく。
・不幸を招く原因となっている己の身口意の習慣を改善する。

<仮説>
・人の欲望は1つ満たすとまた次の欲望が生じ、際限が無い。よって「欲望を満たす努力」≠「幸福である努力」である。
・逆に、禁欲には苦痛が伴うし禁欲の先に幸福となれる保証も無い。保証があったとしても過程は不幸である。
・欲望がある限り、満たそうが禁欲しようが完全なる幸福への到達は不可能である。
・満たす事で「害」となる欲望(例えば喫煙)は禁ずるべきである。
・禁ずる事が「害」となる欲望(例えば睡眠)は満たすべきである。
・自分が必要なくなるような状況がゴール。

顕在意識と潜在意識

超弦理論では、宇宙は9次元空間+時間の10次元時空であると考えられている。
普段見ている3次元世界を「表」、他の余剰6次元を「裏」と定義すると、
「表」と接する為のツールが肉体や顕在意識で、「裏」と接する為のツールが潜在意識なのではないか。

「夢」は潜在意識の働きと言われている。
睡眠から覚め、顕在意識が活発になった時には「夢」の大半は覚えていない。
逆に潜在意識が主に働いている時、つまり「裏」と密に接している時には「現実」の大半は覚えていないのではないか。

訓練の末、覚醒状態で潜在意識が捉える対象を「現実」として感じられ、逆に今まで顕在意識が捉えていた対象を「夢」のように感じられたら。
それが「悟りの境地」に達した人が見ている光景なのではないだろうか。

「夢」こそが揺るぎない真実の断片であり、この「現実」の方が幻のように儚いものなのかもしれない。

人間の行動16種

~パーツ分類~
<肉体的行動>
睡眠(夜寝・昼寝)
摂取(生存の為の食事・点滴)
排泄(トイレ・入浴・散髪・爪切り・髭剃り)
運動(ウォーキング・筋トレ・ヨガ)

<情緒的行動>
静穏(何もしない・リラックス・断捨離)
鑑賞(グルメ・ゲーム・NET)
表現(ファッション・プレゼン)
交流(コラボ・会話・プレゼント)

<意志的行動>
集中(サマタ瞑想・精神統一)
収入(勤労・売却・貯蓄・節約)
支出(投資・購入・整備・消費)
想像(イメージトレーニング・目標設定)

<知識的行動>
観察(ヴィパッサナー瞑想・分析)
修習(読書・受講)
思考(ブログ・体系化・計画)
訓練(タイピング・反復練習・麻雀)

~エフェクト分類~
<ヒーリング行動>
睡眠(疲を弱め、肉体を癒す。)
静穏(憂を弱め、情緒を癒す。)
集中(煩を弱め、意志を癒す。)
観察(痴を弱め、知識を癒す。)

<インプット行動>
摂取(滋を加え、肉体を育む。)
鑑賞(愛を加え、情緒を育む。)
収入(得を加え、意志を育む。)
修習(正を加え、知識を育む。)

<アウトプット行動>
排泄(毒を省き、肉体を磨く。)
表現(憎を省き、情緒を磨く。)
支出(損を省き、意志を磨く。)
思考(邪を省き、知識を磨く。)

<エクササイズ行動>
運動(活を強め、肉体を鍛える。)
交流(悦を強め、情緒を鍛える。)
想像(捨を強め、意志を鍛える。)
訓練(慧を強め、知識を鍛える。)

8方向2点

方向:天(俗に上。)
シンボル:気(七曜を尊重すれば月。)
イメージカラー:白(強い乱反射。弱い吸収。)

方向:地(俗に下。)
シンボル:石
イメージカラー:黒(弱い乱反射。強い吸収。)

方向:極・軸(北半球の場合、北。俗に後。)
シンボル:水
イメージカラー:青縹

方向:中・輪(北半球の場合、南。俗に前。)
シンボル:火
イメージカラー:赤橙

方向:発(北半球の場合、南を向いて左。俗に東。)
シンボル:木
イメージカラー:緑黄

方向:消(北半球の場合、南を向いて右。俗に西。)
シンボル:血・肉
イメージカラー:桃紫

方向:央(観測可能領域の中心点。)
シンボル:土
イメージカラー:灰・渇・濁(並の乱反射。並の吸収。)

方向:周(全方向の観測が可能な限界点)
シンボル:金
イメージカラー:鏡・潤・清(正反射。全色になれる。)

方向:裏(観測不可能な範囲。「周」の外側且つ「央」の内側。)
シンボル:無
イメージカラー:透(一切の色が無い。透過。)

方向:表(観測可能な範囲。「周」の内側且つ「央」の外側。)
シンボル:有(七曜を尊重すれば日。)
イメージカラー:光(全色を内包する。放射。)

4次元以上のイメージ

方向や地点の名前を以下のように定義する。

<定義>
地:地球の中心の方向。地上や空中にいる場合の地面の方向。
天:地面とは反対の空の方向。
極:北半球であれば北、南半球であれば南、近い極地の方向。
中:極地とは反対の赤道の方向。
発:北半球であれば極地を正面にして右、南半球であれば極地を正面にして左。
消:北半球であれば極地を正面にして左、南半球であれば極地を正面にして右。
央:上記6方向の基準となる任意の中心地点。座標0,0,0地点。「方向」ではない。

天⇔地、極⇔中、発⇔消、とし、
地球内の3次元空間全地点は、以上の1点6方向で完全に定義出来る。
以下は、4次元以上の空間に関する仮説を立てる為に使用する定義。

周:上記「央」から見た、全方向の観測限界地点。「方向」ではない。
表:観測可能な範囲。「周」の内側且つ「央」の外側。
裏:観測不可能な範囲。「周」の外側且つ「央」の内側。
内:「央」の内側。観測不可能なミクロ領域。
外:「周」の外側。観測不可能なマクロ領域。

<仮説>
0次元「点」と思ったら、向こうも「点」が見えた。1次元「曲線」の端だった。
1次元「直線」と思ったら、進むと元の位置に戻った。2次元「円」のフチだった。
2次元「平面」と思ったら、どの方向に進んでも元の位置に戻った。3次元「球」の表面だった。

同様に、3次元「空間」と思っているが、
出発点から遠ざかり続けると元の位置に戻る可能性が無いとは言い切れない。
我々が認識している空間は、4次元以上「超空間」の上澄み部分に過ぎない。
各「央」と各「周」は「裏」で繋がっている。
宇宙「外」に出ると同時に、宇宙のどこかの粒子(1つか複数かは分からないが)「内」から出てくる。

どこまでもミクロの世界が見える「神の顕微鏡」があるとすると、
粒子の「内」に「宇宙全体」を俯瞰したかのような超マクロな光景を観られる。
また、宇宙膨張速度を超え宇宙「外」に飛び出した「神のロケット」があったなら
そこには、遠くの「他の粒子」だけが微かに感じられるような、超ミクロな光景が広がっている。

「神の顕微鏡」の倍率をさらに拡大する事で「神のロケット」をも観測出来るし、
「神のロケット」が旅の果てに着陸した所が「神の顕微鏡」を構成している「一粒子」だったという事も有り得る。