生きているうちは、ある意味、己の肉体に束縛されていると言える。
生きている間は、色・声・香・味・触といった5つの感覚を強制的に感じさせられてたのだから、死の直後は肉体や五感から解放されたような感覚があるのではないか。
代わりに、今まで五感に邪魔をされて見えていなかった「真理」がみえたりして。(「全ては繋がっている?」でも述べたような)
「あ~…そうだったんだ~…」みたいな絶句する感覚。 “死の直後の感覚を空想” の続きを読む
支援SIENは愛I。貴方と私の二方良しではエゴが濃い。志縁SYENは和意Y。環境と貴方と私の三方良しでこそ和。志縁×志縁=SYEN-SQUARE。
生きているうちは、ある意味、己の肉体に束縛されていると言える。
生きている間は、色・声・香・味・触といった5つの感覚を強制的に感じさせられてたのだから、死の直後は肉体や五感から解放されたような感覚があるのではないか。
代わりに、今まで五感に邪魔をされて見えていなかった「真理」がみえたりして。(「全ては繋がっている?」でも述べたような)
「あ~…そうだったんだ~…」みたいな絶句する感覚。 “死の直後の感覚を空想” の続きを読む
「健康に太平のため生きる」のが正しい生き方であることは既に述べた。
「健康に生きる」が「時間」への働きかけだとすれば、
「太平のため生きる」は「空間」への働きかけである。
健康であればある程、余命(つまり時間)が長くなる可能性は高く、
太平のために尽くせば、世の中(つまり空間)が良くなる可能性が高いからだ。
世の中(地球)はとてつもなく大きいし、宇宙もとてつもなく広い。
また、宇宙誕生から137億年、地球誕生から46億年と言われるように、時間はとてつもなく長い。
「ちっぽけな人間一人が、そんな途方もなく巨大で悠久な宇宙や地球に貢献する事が果たしてどれだけの意味があるのだろう」と思ってしまう。
限りなく「無意味」に近いぐらいの「意味」しかないと思ってしまう。
だがしかし、 “瞑想修行=プロバイダ契約” の続きを読む
生け花用の「剣山」という道具がある。
仮に、「剣」を上向きに置いた「剣山」を、CTスキャンのように水平に上から輪切り撮影したらどうなるか。
上部の写真は、たくさんの「小さなドット」が撮影される。
下部の写真は「剣」の「土台」の部分になるので1つの「大きな塊」が撮影される。
何を撮影したか知らない人が、上部の写真を見ると「小さな多数の物体」だとしか思えない。
しかし三次元空間で全体を見ると、実は全てが繋がった「剣山」という「大きな1つの道具」であった事が分かる。
この例と同様に(しかし次元は一段階高めて)想像してみる。 “全ては繋がっている?” の続きを読む
「嗅覚が無い生物にとっては香りや臭いの存在が認識できない」
この例からわかるように、ありのままの世界が正しく認識されるには、感じる側の認識レベルも高くなければならない。
宇宙が3次元空間であるという認識も人間レベルの感じ方にすぎず、高次元生物が認識している物全体の一部分しか認識できていないと考えるべき。例えば人間の目に見えない人間の心の中は高次元生物には全て見えていると考える。人は見えている所だけ綺麗にする習性があるが、心の中をハッキリ観察して人間選別している高次元生物には通用しない。人間選別とは、例えば色々な虫達が暮らしている平和な虫カゴがあるとして、その虫カゴを管理している(虫より高等な)人間が、他の虫達に危害を加えそうな虫を排除(もしくは隔離)するようなものだ。 “人間はエキストラ” の続きを読む
濁=白と黒、清=白か黒か
透=赤橙と青縹、鏡=赤橙か青縹か
光=桃紫と緑黄、闇=桃紫か緑黄か
濁と清=鏡(映ったもの次第。映ると濁。映らないと清。)
透と鏡=闇(何も見えないという事は、透過と反射が拮抗。)
光と闇=清(交じりっけない空の境地は、有かつ無。)
超弦理論では、宇宙は9次元空間+時間の10次元時空であると考えられている。
普段見ている3次元世界を「表」、他の余剰6次元を「裏」と定義すると、
「表」と接する為のツールが肉体や顕在意識で、「裏」と接する為のツールが潜在意識なのではないか。
「夢」は潜在意識の働きと言われている。
睡眠から覚め、顕在意識が活発になった時には「夢」の大半は覚えていない。
逆に潜在意識が主に働いている時、つまり「裏」と密に接している時には「現実」の大半は覚えていないのではないか。
訓練の末、覚醒状態で潜在意識が捉える対象を「現実」として感じられ、逆に今まで顕在意識が捉えていた対象を「夢」のように感じられたら。
それが「悟りの境地」に達した人が見ている光景なのではないだろうか。
「夢」こそが揺るぎない真実の断片であり、この「現実」の方が幻のように儚いものなのかもしれない。
方向:天(俗に上。)
シンボル:気(七曜を尊重すれば月。)
イメージカラー:白(強い乱反射。弱い吸収。)
方向:地(俗に下。)
シンボル:石
イメージカラー:黒(弱い乱反射。強い吸収。)
方向:極・軸(北半球の場合、北。俗に後。)
シンボル:水
イメージカラー:青縹
方向:中・輪(北半球の場合、南。俗に前。)
シンボル:火
イメージカラー:赤橙
方向:発(北半球の場合、南を向いて左。俗に東。)
シンボル:木
イメージカラー:緑黄
方向:消(北半球の場合、南を向いて右。俗に西。)
シンボル:血・肉
イメージカラー:桃紫
方向:央(観測可能領域の中心点。)
シンボル:土
イメージカラー:灰・渇・濁(並の乱反射。並の吸収。)
方向:周(全方向の観測が可能な限界点)
シンボル:金
イメージカラー:鏡・潤・清(正反射。全色になれる。)
方向:裏(観測不可能な範囲。「周」の外側且つ「央」の内側。)
シンボル:無
イメージカラー:透(一切の色が無い。透過。)
方向:表(観測可能な範囲。「周」の内側且つ「央」の外側。)
シンボル:有(七曜を尊重すれば日。)
イメージカラー:光(全色を内包する。放射。)
方向や地点の名前を以下のように定義する。
<定義>
地:地球の中心の方向。地上や空中にいる場合の地面の方向。
天:地面とは反対の空の方向。
極:北半球であれば北、南半球であれば南、近い極地の方向。
中:極地とは反対の赤道の方向。
発:北半球であれば極地を正面にして右、南半球であれば極地を正面にして左。
消:北半球であれば極地を正面にして左、南半球であれば極地を正面にして右。
央:上記6方向の基準となる任意の中心地点。座標0,0,0地点。「方向」ではない。
天⇔地、極⇔中、発⇔消、とし、
地球内の3次元空間全地点は、以上の1点6方向で完全に定義出来る。
以下は、4次元以上の空間に関する仮説を立てる為に使用する定義。
周:上記「央」から見た、全方向の観測限界地点。「方向」ではない。
表:観測可能な範囲。「周」の内側且つ「央」の外側。
裏:観測不可能な範囲。「周」の外側且つ「央」の内側。
内:「央」の内側。観測不可能なミクロ領域。
外:「周」の外側。観測不可能なマクロ領域。
<仮説>
0次元「点」と思ったら、向こうも「点」が見えた。1次元「曲線」の端だった。
1次元「直線」と思ったら、進むと元の位置に戻った。2次元「円」のフチだった。
2次元「平面」と思ったら、どの方向に進んでも元の位置に戻った。3次元「球」の表面だった。
同様に、3次元「空間」と思っているが、
出発点から遠ざかり続けると元の位置に戻る可能性が無いとは言い切れない。
我々が認識している空間は、4次元以上「超空間」の上澄み部分に過ぎない。
各「央」と各「周」は「裏」で繋がっている。
宇宙「外」に出ると同時に、宇宙のどこかの粒子(1つか複数かは分からないが)「内」から出てくる。
どこまでもミクロの世界が見える「神の顕微鏡」があるとすると、
粒子の「内」に「宇宙全体」を俯瞰したかのような超マクロな光景を観られる。
また、宇宙膨張速度を超え宇宙「外」に飛び出した「神のロケット」があったなら
そこには、遠くの「他の粒子」だけが微かに感じられるような、超ミクロな光景が広がっている。
「神の顕微鏡」の倍率をさらに拡大する事で「神のロケット」をも観測出来るし、
「神のロケット」が旅の果てに着陸した所が「神の顕微鏡」を構成している「一粒子」だったという事も有り得る。