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摂取物と行動項目

<摂取>
白湯
野菜ジュース
炭酸水
コーヒー

<行動>
{肉体・モノ・サバイバル}
睡眠
摂取(白湯リキッダリアン)
排泄(入浴)
運動
{知性・情報・IT}
瞑想(マインドフルネス)
学習(プログラミング)
記録
分析
{意志・カネ・ファイナンス}
集中・目標設定(ミッションステートメント)
労働・装備・解脱
家事(掃除・洗濯・購入・炊事)
投資・金融・対戦(麻雀・将棋)
{情緒・ヒト・コンサルティング}
持戒(禁欲)
会話受信(鑑賞)
会話発信
想像(プレゼント)

雑記2019.10.01

「本当にやりたい事が見つからない。」
このように思っている人は、人生そのものをゲームとして楽しめる素質がある。
本当にやりたい事が既にある人にとって、その本当にやりたい事は、その人の中でゲーム化されている。
そのやりたい事は、食事や睡眠をそっちのけで熱中できるゲームのようになっているのだ。

本当にやりたい事が見つかっていない人にとって、まず達成したい事は「本当にやりたい事を探しみつける事」である。
「本当にやりたい事を探す」はある意味宝探しゲームである。
本当にやりたい事が見つかっていない人にとって、人生とは、宝探しゲームである。

「私が本当にやりたい事」が見つかるという事は「己を知る」という事でもある。
本当にやりたい事が見つかっていない人にとって、人生とは、己を知るゲームである。

そして、この「己を知る」という目標が達成されるかされないかは、どちらになるか今の自分には分からないがどちらになるかは実は決められている。
達成のために努力を多くした方が達成されやすいだろうが、自分自身が努力を多くできるかどうかも、実は決められている。
そして「決められているならどうあがこうが無駄じゃん」とヘコむか「どうせ決められているなら深刻にならず日々を楽しもう」とプラスに思えるかどうかも、実は決められている。

全ては決められている。但し、どのように決められているかは絶対に分からない。

別件。
2次元は高さが無い世界。でも高さが0という事は(3次元の常識だと)存在してないということ。
3次元は4次元から見て、xが無い世界。でもxが0という事は(4次元の常識だと)存在していないということ。
仮に、過去から未来までが同時に存在する世界があったとする。
その世界の生物が、私達のいる3次元+時間の世界を見たら何と思うか。
「時間軸が0だな。ペッタンコだな。」と思うだろう。
私達が2次元の世界を想像し、
「高さ軸が0だな。ペッタンコだな。」と思うのと同じように。

アドラー心理学まとめ

「原因論」ではなく「目的論」である。
自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。
未来を決定づける「トラウマ」など存在しない。
「怒りに駆られて、大声を出した」のではなく、「大声を出す為に、怒った」のである。
「人は変われる」を前提に考えよ。
変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているから。
大切なのは「何が与えられているか」ではなく、「与えられたものをどう使うか」である。
「勇気の心理学」であり、「使用の心理学」である。

私は私の「ライフスタイル」を自ら選んだ。ゆえに再び選びなおすことも可能。
これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない。

悩みを消し去るには宇宙の中にただ一人で生きるしかない。
人間の悩みは、全て対人関係の悩みである。
劣等感とは「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」である。
劣等感は努力や成長を促すきっかけになり得るもの。健全な劣等感とは、「理想の自分」との比較から生まれるもの。
劣等コンプレックスは自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態。
優劣コンプレックスはそこからさらに権威付けをして自慢し始める状態。
優越性の追求とは、自らの足を一歩前に踏み出す意志。誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいい。
全ての人間は「同じではないけれど対等」
「権力争い」を制しても「復讐」が待っている。

行動面の目標
自立すること
社会と調和して暮らせること

心理面の目標
私には能力がある、という意識
人々は私の仲間である、という意識

「仕事のタスク」「交友のタスク」「恋愛のタスク」「親子のタスク」
という4つの「人生のタスク」から逃げずに向かい合い乗り越える事。
様々な口実を設けて「人生のタスク」を回避しようとする事態を「人生の嘘」という。

承認欲求を否定する。人間は、他者の期待を満たすために生きているのではない。他者の期待など満たす必要はない。
課題の分離。「これは、誰の課題なのか?」他者の課題には踏み込まない。他者の課題を切り捨てよ。
「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えると誰の課題かが分かる。
他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。
自由とは、他者から嫌われる事である。
対人関係のカードは常に「わたし」が握っている。

人間をこれ以上分割できない存在だととらえ、「全体としてのわたし」を考えることを「全体論」と呼ぶ。

他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚という。
社会の最小単位は「わたしとあなた」
自己への執着を、他者への関心に切り替えていく。
「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイル。
わたしもあなたも共同体の一部であって、中心ではない。
「わたしはこの人に何を与えられるか?」を考える。
対人関係の中で困難にぶつかった時、まず、より大きな共同体の声を聴け。

あらゆる「縦の関係」を否定し、全ての人間関係を「横の関係」とする。
劣等感とは、縦の関係の中から生じてくる意識。
対人関係を縦でとらえ、相手を自分より低く見ているからこそ、介入してしまう。
横の関係に基づく援助のことを「勇気づけ」と呼ぶ。
意識の上で対等であること、そして主張すべきは堂々と主張することが大切。
人は、ほめられることによって「自分には能力がない」という信念を形成していく。
いちばん大切なのは、他者を評価しない、ということ。
人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献できたことを知る。
人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる。
人は、「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる。

他者の事を「行為」のレベルではなく、「存在」のレベルで見ていく。

「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」
肯定的なあきらめ。「変えられるもの」を変えていく勇気と、「変えられないもの」受け入れる落ち着きと、その違いを見極める智慧。それが「自己受容」
他者を信じるにあたって、一切の条件を付けない。それが「他者信頼」
信頼することを恐れていたら、結局は誰とも深い関係は気付けない。
「他者貢献」とは「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感する為にこそ、なされるもの。
他者がわたしに何をしてくれるかではなく、わたしが他者に何ができるかを考え、実践する。

「幸福とは、貢献感である」これが幸福の定義だ。
但し、承認欲求を通じて得られた貢献感には、自由が無い。
普通であることの勇気。わざわざ優越性を誇示する必要などない。

人生とは、連続する刹那。
われわれは、「いま、ここ」にしか生きることができない。
どう生きたのか、その刹那を見ていく。
「いま、ここ」を真剣に生きること、それ自体がダンス。
人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きない事。
「これからなにができるのか?」を考えるべき。
「一般的な人生の意味はない。人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」

「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷う事はないし、なにをしてもいい。
わたしの力は計り知れないほどに大きい。
世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ、わたしによってしか変わりえない。

六波羅蜜と六蓋

布施(利他)は貪欲を滅す
忍辱(自利)は瞋恚を滅す
これにより情緒が健全化する

精進(自利)は惛眠を滅す
禅定(解脱)は掉悔を滅す
これにより意志が健全化する

般若(解脱)は無明を滅す
持戒(利他)は疑念を滅す
これにより知性が健全化する

循環(運動)は疲労を滅す
消化(排泄)は疾病を滅す
これにより肉体が健全化する

静穏

情緒の不調は怒りがある状態。

怖い顔になりがち。

「穏顔」を習慣にし怒りに気づく。

意志の不調は貪りがある状態。

貧乏ゆすりをしがち。

「静足」を習慣にし貪りに気づく。

肉体の不調は疲れがある状態。

呼吸が荒くなりがち。

「穏息」を習慣にし怒りに気づく。

知性の不調は迷いがある状態。

目が泳ぎがち。

「静眼」を習慣にし迷いに気づく。