雑記2019.10.01

「本当にやりたい事が見つからない。」
このように思っている人は、人生そのものをゲームとして楽しめる素質がある。
本当にやりたい事が既にある人にとって、その本当にやりたい事は、その人の中でゲーム化されている。
そのやりたい事は、食事や睡眠をそっちのけで熱中できるゲームのようになっているのだ。

本当にやりたい事が見つかっていない人にとって、まず達成したい事は「本当にやりたい事を探しみつける事」である。
「本当にやりたい事を探す」はある意味宝探しゲームである。
本当にやりたい事が見つかっていない人にとって、人生とは、宝探しゲームである。

「私が本当にやりたい事」が見つかるという事は「己を知る」という事でもある。
本当にやりたい事が見つかっていない人にとって、人生とは、己を知るゲームである。

そして、この「己を知る」という目標が達成されるかされないかは、どちらになるか今の自分には分からないがどちらになるかは実は決められている。
達成のために努力を多くした方が達成されやすいだろうが、自分自身が努力を多くできるかどうかも、実は決められている。
そして「決められているならどうあがこうが無駄じゃん」とヘコむか「どうせ決められているなら深刻にならず日々を楽しもう」とプラスに思えるかどうかも、実は決められている。

全ては決められている。但し、どのように決められているかは絶対に分からない。

別件。
2次元は高さが無い世界。でも高さが0という事は(3次元の常識だと)存在してないということ。
3次元は4次元から見て、xが無い世界。でもxが0という事は(4次元の常識だと)存在していないということ。
仮に、過去から未来までが同時に存在する世界があったとする。
その世界の生物が、私達のいる3次元+時間の世界を見たら何と思うか。
「時間軸が0だな。ペッタンコだな。」と思うだろう。
私達が2次元の世界を想像し、
「高さ軸が0だな。ペッタンコだな。」と思うのと同じように。