熟達の過程を表現した「守破離」をスッキリ理解出来るように、重なった特大・大・中・小の4つの図形を想像する事。
1 特大の☆。(フニャフニャと常にカタチが変わる)
2 1の内に、大の△。
3 2の内に、中の〇。
4 3の内に、小の△。
それぞれの図形は以下の意味を持つものとする。(図形のカタチには意味は無い。)
1 自然の摂理や物事の本質のカタチ。
2 自分流の完成形。弟子に教える自分の型。
3 師匠が自分に教えてくれる型。
4 未熟な初心者の自分のカタチ。
簡単に言うと、守破離とは以下の通り。
厳密に把握する為、「頼」「拡」「和」も加え6段階としている。
頼 4が成長し3に接するまでの教えに頼るだけの段階。
守 3になるまでは教えを守り4の個性を抑える段階。
破 3を破ってから2の個性の型になるまでの段階。
拡 1と接するまで2の型のまま成長を拡げる段階。
離 1と同化する為に2の型を崩し離れていく段階。
和 変幻自在な1とより一層和み同化率を高める段階。
解説すると、
未熟な初心者の自分にも個性がある。
その個性のカタチが小さい△だとする。
師匠はそんな自分より熟練しているから自分より大きい。
師匠にも当然個性がある。
その師匠の個性のカタチが〇だとする。
自分と師匠の個性は異なるが、まずは真似る所から始める。(頼)
最初は未熟すぎる自分がどんどん上達していくからただただ楽しい。
自分の個性のまま成長が進むと、いつか師匠の型が窮屈に感じ始める。(頼の終了)
しかし、まだ師匠の実力には及ばない。自分とはまだまだ差がある。
師匠の型をマスターするまではあえて自分の個性を抑えて教えを守る。(守)
やがて、師匠の型を完全にマスターする。つまり〇になる。(守の終了)
ただ、やはり元々の自分の個性のカタチは△。
師匠の型である〇を保持しつつもさらなる熟達を目指す。
〇が破れ、自分の個性に沿ったより大きな△が形成されていく。(破)
程なく、〇をスッポリ覆う大きな△が完成される。(破の終了)
弟子に教える側になり、初心者にはこの大きな△を真似させる。
やがて弟子もまた大きな△をマスターするだろう。
なので自分もさらなる成長をしない事には追い付かれる。
さらに自分の型である△を大きくしていく。(拡)
が、頂点が特大の☆の内側にぶつかる。(拡の終了)
さらに自分を大きくしていくには△であることを放棄せざるを得ない。
だが、自分以上の師匠はもういない。
そこで自分の型の強み弱みを自分で見つめなおす。
「自分の型」と「自然の摂理や物事の本質」との「合致点」や「ズレ」が見つかる。
「合致点」とは大きな△の頂点部分。その頂点は既に「自然の摂理や物事の本質」である特大の☆に触れている。
つまり、極めているのでそれ以上広がらない。
逆に「ズレ」とは大きな△の辺と特大の☆との乖離部分。
つまり、極められていないので、広げるならココしかない。
自分の型にこだわるのをやめる。(こだわるのをやめても、習得している為なくなりはしない。)
つまり型から自由になる。「自然の摂理や物事の本質」の型との同化を目指していく。(離)
完全に同化して溶け合った時、自分の技=自然の摂理となり、特大の☆となる。
つまり「真の自然体」が一瞬だけ達成される。(離の終了)
よって、最高の達人には「型」が無い。そこにあるカタチは、ただただ自然のカタチ。
一瞬、自然の摂理と同化した後も、同化率を高める為には更なる修行が必要。
この「離の終了以降」を漢字一文字で表すと何が相応しいかと考えてみた。
「極」?「溶」?「融」?「和」?「合」?「空」?「然」?「神」?
個人的には「和」かなと思った。