ある自己啓発プログラムでは、「本当にやりたい事の達成を目標とし、一点集中でそれに取り組もう」と提唱している。
私もその考え方に100%同意する。全く正しい意見だと思う。
何故なら、人生は限られた時間であるし、人にはそれぞれタイプがあるからだ。
例えば仮に、世の中を良くするためには4つの部門を良くしなければならないとして、且つ、4人しかいない世の中だとして、以下の2つの例はどちらが良い世の中になるだろうか?
※4人とも自分が死ぬ前に自分の能力を後継者に引き継げるものとする。
1、4人とも4つの分野が100点中25点の能力。その4人が仲良く助け合う世の中。
2、4人ともそれぞれ異なる1つの分野だけが100点中100点の能力でそれ以外の3分野は0点。その4人が仲良く助け合う世の中。
4人の総合得点は双方400点だが、私は2が良い世の中であると考える。助け合う事で全員が4つの分野の100点を知ることが出来るからだ。
それに対して1は、自分以外の他の3人の能力も全て自分と一緒。助け合うというか、他の3人に出来る事は自分にも出来るからだ。
「太平のために生きる」のが正しい生き方。皆がそれぞれの分野で「本気で一点集中で取り組む」方が「より良い世の中」を創る為には近道なのである。つまり、「太平のために生きる」イコール、「本当にやりたい事の達成を目標とし、一点集中でそれに取り組む」なのだ。
ただ、「その肝心の『本当にやりたい事』が、何なのかが全く分からない。」と思っている人は多い。
「本当にやりたい事」を見つける方法として、
ある人は「『あなたが今までに本当に楽しかったことは何ですか?』等の複数の質問に答え、その答えの共通点を見つけると良い」と言っている。
またある人は「子供の時は出来る出来ないという制限なく将来の夢を語る。なので、子供の時になりたかったものの要素を考えれば良い」と言っている。
どれも有効な方法だとは思う。
ただ私は思う。
今、「本当にやりたい事」をやっている人は、これらの方法を使って「本当にやりたい事」を見つけたのだろうか?
「本当にやりたい事」を見つけようとして見つけたのだろうか?
多分、違うと思う。
見つけようとして探して考えた「やりたい事」が、「本当にやりたい事」なのだろうか?
多分、違うと思う。
「本当にやりたい事」とは、「気が付いたら熱中していた」というような事だと思う。
他人から「そんなに熱中出来る、それの魅力は何ですか?」と聞かれても困ると思う。
仮に上手に理由を答えたとしても、それは後付けに過ぎないのではないか。
その「好きな理由」の理由まで聴いていったら、最終的には「よくわからないけど私はそういうタイプだから」となると思う。
「よくわからないけど私に完全に合うから」となると思う。
ともかく、「本当に好きな事」が分からない人は、まず「本当に好きな事」を見つけるのを、即刻、一旦、諦めよう。
このまま「本当に好きな事」が見つからないまま時間だけが過ぎていくのは大変もったいない。
その代わり「本当に好きな事」をやっている人に倣って、以下の行動をしよう。
「好きではない事」「嫌だけど仕方なくやっている事」をどんどん辞めていけるように努力する。
現在「本当に好きな事」に一点集中できている人は、当然「好きではない事」を殆どやっていない、もしくは辞めた、という事になる。
まずは、その姿勢や行動を真似すればよいのだ。「日々の嫌な事」を書き出し、それをどんどん辞めていく事を目標にすれば良い。
「嫌な事」「好きではない事」を「捨てる」「別れる」「辞める」「忘れる」事に一点集中すればよいのだ。
そうしているうちに、「本当にやりたい事」に気づくならそれはそれでよいし、ずっと「本当にやりたい事」が分からないならそれはそれで一向に構わない。
「嫌な事」「好きではない事」を1つでも多く「捨てる」「別れる」「辞める」「忘れる」事の方が大切だ。
これを続けていくとどうなるか。殆ど「嫌な事」「好きではない事」をしない理想の一日になっているはずだ。
(ただ、注意しなければならない事も有る。空腹状態が「好きではない事」だからと言って食いまくって太りまくって、その太った自分が結局「好きではない」のなら、食いまくるのはダメだという事。勿論、「太った自分が全く嫌ではない」「病気による早死にも全く嫌ではない」「病気になって家族に負担をかける自分も全く嫌ではない」と言うタイプの人は、おおいに太ればよい。)
ハイ!それがあなたの「本当にやりたかった事」。
つまり、あなたは「本当にやりたい事」が、言語化出来なかっただけだ。
もしくは、あなたの「本当にやりたい事」は、言語化するには少々複雑すぎたのだ。
辿り着けるのであれば、言語化出来なくても良いではないか。
自分の「本当にやりたい事」が、辿り着いてから分かっても良いではないか。
逆に「本当にやりたい事」が分かった時には、「辿り着く時間も気力も残されていない」というのが一番悲惨。
勿論、言語化出来るのであればそれに越したことはない。
「本当にやりたい事」を出来ている人ですら、その理由を聴きまくったら「よくわからないけど私はそういうタイプだから」「よくわからないけど私に完全に合うから」「それが好きだから」となり、理由を明確に言語化出来る人はそう多くない。
ならば逆の発想で、「本当にやりたい事」が分からない人は、「私のタイプ(アイデンティティ)」だけでも明確に言語化出来るようになって「本当にやりたい事」のイメージや方向性を知っておくのもアリだ。
何故なら、「本当にやりたい事」が、既存のジャンルに無い場合もあるだろうから。
あなたはもしかしたら、何らかの新ジャンルを創造する人かもしれない。
「私のタイプ」を言語化するには、「捨てる」「別れる」「辞める」「忘れる」をした「嫌な事」「好きではない事」のタイプを考えればよい。
例えば、嫌いな「営業の仕事」を「辞めた」とする。何故嫌いだったのか。
その理由が「アグレッシブに自分から相手に勧めるのが嫌」だとする。
この場合、その逆である「セーフティさ」「内向的」等が「私のタイプ」という事になる。
「本当にやりたい事」を見つけるのが苦手なあなたは、「やりたくない事」を見つけるのが得意なハズ。
ならばその「やりたくない事」の属性をタイプ分析出来れば、その逆属性が「あなたのタイプ」だと分かる。
「あなたの嫌いな物」の逆が「あなたの好きな物」。