私にとっての「正しい生き方」とは、「潜在意識に身を任せる」だ。
私自身、「潜在意識」がどういうものなのか全然理解出来ていない。
唯一言えるとしたら、「自分も知らない自分」という表現ぐらいしかない。
人は自分の行動を完全に意識しているわけでもないのに、現に何事もなく行動出来ている。
俗に「無意識にやっている」と言われるヤツだ。
その「無意識にも関わらず」行動させてくれている「何者か」をここでは「潜在意識」と呼ぶ事にする。
人は全部の事を得意になる事は難しい。全部の事を極めるとなると不可能だ。
ならば、皆が全部の事を上達しようと頑張るよりも、
それぞれ自分が得意な事を上達し、お互いに補い合う方が合理的だ。
その方が組織も社会もうまくいく。適材適所。良い言葉だと思う。
その「適材適所」という考え方は、「社会」という集団にだけではなく、「私」という一個人内においても有効だと思う。
例えば「内臓」。それぞれの臓器がその道のスペシャリストだ。これは「肉体」を例にしたが、「内面(精神)」にも同じことが言える。
私は、「己の個性、持ち味、潜在能力を存分に発揮出来る。そんな人生にしたい!」
そう強く願ってはいるが、肝心の「私の個性」「私の持ち味」「私の本当にやりたい事」を私自身が解っていないのだ。
否、正確には「少なくとも私の顕在意識は解っていない」という事だ。
言い換えるならば、「私の顕在意識は、『私が本当にやりたい事』や『私にとっての正しい生き方』を決めるのが苦手」なのだ。
※私のように「やりたい事が見つからない」って人、現代に多いと思う。
ならば、ここは「適材適所」の考え方を適用させる!
私の「顕在意識」が、「私が本当にやりたい事」や「私にとっての正しい生き方」の正解を導き出すのは諦める。
なので、この問題は「潜在意識」にお任せしてみる。無論、私は「潜在意識」の事は何にもわかっていないので、うまくいくかは分からない。
でも、もしかしたら「潜在意識」はそういうの得意かもしれないし。
これは一種の「采配」だ。「潜在意識よ。一回、俺(顕在意識)の代わりに皇帝をやって。俺は軍師やるから。」という感じだ。
戦国風に言うと、
「潜在意識という名の皇帝」が、「私が本当にやりたい事」や「私にとっての正しい生き方」を示したなら、
「顕在意識という名の軍師」と「肉体という名の武将」が全身全霊を尽くし「それの実現」に向け取り組む。
逆に「潜在意識」が苦手とする事や欲する事は、「顕在意識」と「肉体」がフォローし支援する。
さあ!皇帝よ、ご指示を!!
※この「身を任せる」という行動は、人間の行動16種の中の「静穏」の事である。