健康に太平のため

「正しい生き方」とは何か。
私は「健康に太平のため」が正解だと思っている。

自らの肉体を(可能ならば周囲も)健康に保ち、
世界平和の為(世のため人のため)に貢献する。

正しい生き方(定義)でも述べたが、
「自殺を決意した人」以外の多くの人は「まだ生きること」を選んでいる。

何故「健康に」生きるのが正しいのか。「生きる」という目的に従っているから。
何故「不健康に」は正しくないのか。「生きる」という目的に逆らっているから。

生きようとしている人でも「老衰・不慮の事件事故・不運な病」で死ぬ事はある。
これは避けようがない事だ。

でも「復讐・不注意で事故・不摂生で病」が死因なら「自分のせい」でもある。
乱暴な言い方かもしれないが、これらも広義では「自殺」なのだ。
少なくとも、自分への「過失致死」だと言える。

「不注意で事故・不摂生で病」を遠ざける習慣、それが「健康に生きる」である。
「復讐」や「戦争・戦乱・争乱・騒乱・動乱」を遠ざけるにはどうするのか。
それが「太平のために生きる」である。

この「健康に太平のため生きる」を当ブログでは「支援」でなく「志縁」と呼ぶ。

正しい生き方(定義)

人は必ずいつか死ぬ。
そして、いつ死ぬのかは分からない。
これは間違いない事実だ。

死を求めて自殺をしなくても、どうせいつかは必ず死ねるのだ。
なのに自殺を選んだ人は「今すぐ死のう。自分で殺そう。」と思ったと言える。
逆に自殺を選んでいない多くの人はどう思っているのだろうか。

これは十人十色だろうが、少なくとも、
「今すぐ死ぬ気はない」か、
「自分で殺す気はない」かのどちらかには当てはまるだろう。

いずれにせよ、「まだ生きる」を選んでいるという事。(期間は様々だとしても)
そういった「まだ生きる」を選んだ人々全員が実践すべき普遍的な「生き方」を、
当ブログでは「正しい生き方」と呼ぶ事にする。

潜在意識に身を任せる

私にとっての「正しい生き方」とは、「潜在意識に身を任せる」だ。

私自身、「潜在意識」がどういうものなのか全然理解出来ていない。
唯一言えるとしたら、「自分も知らない自分」という表現ぐらいしかない。

人は自分の行動を完全に意識しているわけでもないのに、現に何事もなく行動出来ている。
俗に「無意識にやっている」と言われるヤツだ。
その「無意識にも関わらず」行動させてくれている「何者か」をここでは「潜在意識」と呼ぶ事にする。

人は全部の事を得意になる事は難しい。全部の事を極めるとなると不可能だ。
ならば、皆が全部の事を上達しようと頑張るよりも、
それぞれ自分が得意な事を上達し、お互いに補い合う方が合理的だ。
その方が組織も社会もうまくいく。適材適所。良い言葉だと思う。

その「適材適所」という考え方は、「社会」という集団にだけではなく、「私」という一個人内においても有効だと思う。 “潜在意識に身を任せる” の続きを読む

感謝と反省

良い結果が出た時は、環境からの影響に感謝すべきである。

何故ならその成功の要因は、自分自身の実力だけではないからだ。
もし感謝を怠れば、自分自身の実力を過信する事で無駄な失敗を生むだろう。

悪い結果が出た時は、自分自身の実力を反省すべきである。

何故ならその失敗の要因は、環境からの影響だけではないからだ。
もし反省を怠れば、環境からの影響を気にし過ぎて余計に成功を逃すだろう。

正しい生き方とは

<確実事項>
・人は必ず死ぬ。
・いつ死ぬかは分からない。
・死後どうなるかは分からない。
・幸福でありたい。
・不幸になりたくない。
・「正しい生き方」の完全な正解がいつ解るかは分からない。
・定めた「正しい生き方」が完全な正解かどうかを確かめる術は無い。

<疑問点>
・幸福とは何か?
・私の「本当にやりたい事」とは何か?

<方法論>
・「何故自殺をしないのか?」の答えがそのまま「何故生きているのか?」の答えになるのではないか。
・仮説を立て、その仮説に基づき実践しながら、自分自身の納得感が高まる方向に修正していく。
・不幸を招く原因となっている己の身口意の習慣を改善する。

<仮説>
・人の欲望は1つ満たすとまた次の欲望が生じ、際限が無い。よって「欲望を満たす努力」≠「幸福である努力」である。
・逆に、禁欲には苦痛が伴うし禁欲の先に幸福となれる保証も無い。保証があったとしても過程は不幸である。
・欲望がある限り、満たそうが禁欲しようが完全なる幸福への到達は不可能である。
・満たす事で「害」となる欲望(例えば喫煙)は禁ずるべきである。
・禁ずる事が「害」となる欲望(例えば睡眠)は満たすべきである。
・自分が必要なくなるような状況がゴール。