無冠の帝王とは、特定の分野で第一人者の実力を有しながら、大きなタイトルを獲得できない人を指す言葉。(引用元:ウィキペディア)
つまり、1位になれる実力があるのにいつも2位になってしまう人の事。
では、いつも1位になってしまう人はどんな実力があるのか。
馬鹿げた数字遊びではあるが、0位になれる実力があるという事になる。
つまり、
無冠の帝王=1位になれる実力があるのにいつも2位になってしまう人
常勝の帝王=0位になれる実力があるのにいつも1位になってしまう人
となる。
では、0位とは何か?
1より少ない数という事を考えれば、1位よりも上の順位という言い方が出来る。
言い換えると、0位とは「1位獲得経験者が、現状に満足せずさらに目指したい上の境地」
という事になる。
欲求で言うならば、自己実現欲求のさらに上、「自己超越欲求」。
また、本来0は順位に使用しない数という事を考えれば、他と競わない存在だとも言える。
言い換えると、0位とは「他と競争し続けるだけでは到達出来ない境地」
という事になる。
つまり「競争の意識を消さないと到達出来ない境地」である。
競争の対義語は「協力」である。
言い換えると「協力の意識を持たないと到達出来ない境地」。
どんな状態かと言うと、
相手と競っているように見えながらも、内面は「協力」の意識で満たされている。
相手と自分で協力して最高の「試合」を創り上げてやるぞ、という意識。
「最高の試合」は、相手が最高のプレイをして、自分も最高のプレイをすれば創れる。
でも、自分には、相手が最高のプレイをするよう操作は出来ない。
自分に出来るのは、自分が最高のプレイが出来るように集中し実行する事だけ。
相手が最高のプレイをしてくれるかどうかは相手を信頼するしかない。
このようにプレイをしていれば、最高の試合を創る事が目的なので、
相手がミスをした時は残念な気持ちになり、相手が成功した時は喜ばしい気待ちになる。
競争の意識があるうちは、
相手がミスをした時に喜ばしい気持ちになり、相手が成功した時に残念な気持ちになる。
無冠の帝王の課題とは「競争の意識」から「協力の意識」に転換する事である。
その後「協力の意識」が熟成すると、相手にも最高のプレイを求めずにいられなくなる。
相手が最高のプレイをしやすいように情報の共有というか「供与の意識」さえも芽生える。
やがて、その分野、その業界で、最高の試合を創り上げられる存在は自分ではないと思う時が来る。
そうなれば、引退するなり後生の育成に励むなり業界に貢献するなりすればよい。
そうなると「0位」から「-1位」になったと言える。
つまり、どんなに実力があっても「世の中に貢献したい」と思っていないと「最高の試合を創ろう」とは思えない。
どんなに実力があっても「最高の試合を創ろう」と思えなければ「チャンピオン」にはなれない。
つまり「無冠の帝王」止まりだという事だ。